入眠前のシンプリスト

不眠症のシンプリストが眠る前に綴る、日々の小さな幸せのお話です。

シンプリスト化のきっかけ

こんまりさんとかやましたひでこさんとか

有名な方々の書籍をきっかけとして

自らの生活スペースを見直された方は多く

それが近年の断捨離ブームの主流なんだと思います。

また、所有物の整理に限らず、人生の優先度や

スタイルの選択という点では

ドミニク・ローホーさんのシンプルリストシリーズも

大きな影響があったのではないでしょうか。

私はローホーさんの、美しいものへの眼差しが大好きです。


が、私の場合は「猫の急病」がきっかけでした。

数年前、猫が食欲不振で夏バテか?と検査に行ったところ

末期の腎障害で余命数日と診断されたのです。


その猫のいない人生など、考えたこともなかった身に

定期検査をしていなかった後悔と自己嫌悪

喪失の恐怖と不安が一挙に襲ってくるなか

前日まではご飯食べていた猫が

みるみる動けなくなり、寝たきりで失禁するようになり…


そこからしばらくは、食事も全く食べれず眠れず

信じ難いほどの孤立感で、世界の全てが異世界のように遠く感じる

異常な心理状態で、誰とも話したくありませんでした。


が、勇敢なる我が愛猫はステージ4の値で数ヶ月闘

徐々に徐々に、数値も下げてくれた結果

そこから5年も頑張って、一緒にいてくれました。

正直、発病直後の精神状態だったら、後追いしてたかもと思っています。

正気を疑われるとおもいますが、私には本当に特別で、大切な猫だったのです。


その闘病期間の初期に、突然気付きました。

それまでの私の生活の彩りであった

雑貨や衣類の多くが、全く色を無くしていたのです。

道端に落ちている落ち葉と同じくらい

存在はしてるけど何の繋がりもない、初めて目にする他人のモノのように目に映りました。


あの感情はうまく説明出来ません。

とにかくそれを機に、(足腰の弱った猫の移動経路の確保や

嘔吐・失禁等への衛生対策邪魔という意味もあり)

一挙に家の中の本も服も家電も、どんどん廃棄しました。

猫の足場やら水飲み器やら自宅輸液用の台やら

大型のモノも代わりに増えはしましたが

自分自身の持ち物は、7割方廃棄したと思います。

廃棄して後悔したものは、文字通り皆無でした。

爽快感も特に無く、掃除業者の仕分の如く淡々とした思いしかなかったので

その点、断捨離で生まれ変わったような心地よさや興奮を得た方々が、ちょっと羨ましいかも知れません。


その後愛猫を見送り、介護用品等は寄付・廃棄した結果

絵に描いたような、最小単身パックで引越しをして

今住んでいる、ビル最上階の

塔の先端の如き謎の一室に至りました。


今の家には、日々使うものだけが置いてあります

愛猫のお骨だけは三回忌まで手放しませんが

これだけは私にとって"モノ"ではないので、ノーカンとします。

自分の骨なら速攻散骨して欲しいというか、何なら廃棄でも気にならないというのにおかしな感情なのですが

愛猫は、骨でも愛しいのです。可愛いのです。


元々、学生時代はトランクと本棚一つというミニマリストで(社会人になってから、モノが一挙に増殖しました…)

かけがえのない/取り返しのつかない「モノ」などない、と思っていた私に

モノでなくなるモノがある、という

執着という名の、人の弱さもきちんと教えてくれた

この猫には、頭が上がりません。

小柄で大人しい猫でしたが、




ミニマリスト超えかもな話

PCを持っていません。

SEだった頃は、1日画面見て終電で家着いてから

PC立ち上げるとか絶対イヤ…との理由で

私物として持つなど、ゾッとする思いでした。

iPod初代機(因みに、若い方には信じ難いでしょうが

当時はMac用機/Windows用機で別商品で、後者については、対応機種も限られてました

それでも、初代機のデザインやメタル部分の質感の美しさは最高に美しく、魅力的だったのです。

個人的には、歴史上最も美しいミュージックプレイヤーだと思っています)購入を機に

iTunes管理用に、VAIO買ったこともありましたが、愛着とは程遠く…

仕事は会社で、家は安息と快適な時間、を徹したい私には

PCは仕事の臭いがして、愛着を持ちにくい存在なのです。


転職活動とか偶の急用の際は満喫で間に合わせ、今はまあまあ、問題なく暮らしています。

iTunes使う上では、あった方が便利でしょうが、無ければないで、今ならiPhoneのみでもどうにかなるものです。


PCがないということは、タイピング環境としてのテーブルも不要ということです。

来客・食事用のローテーブルだけで済みますし、その点も快適ですよ(

タイピングなんてどこでも出来るぜ、という方も勿論いらっしゃると思うのですが、私は転職してテーブルの高さが変わったら

速攻で腱鞘炎になったことがあるので、机と椅子の高さには結構慎重です)。

ブログもスマホだけで書けますし、コミュニケーションや情報収集ツールというだけならPCは最早、断捨離対象の家電に移行してきているのではないでしょうか。


いや、流石にちょっと早いか…

それに私も、美しく魅力的な製品(それこそ、iPod 初代機くらい)に出会えたら、買ってしまわないとも限りませんけれど。

ノマド派のビジネス用か、スマホ画面では辛い高齢者用以外には、今後のPC需要の展開が思いつかないなあ…と、個人的には思っています。



コーヒーの話

ここ10年くらいで、自家焙煎の

しかも、注文受けてから炒ってくれるお店が

増えたなぁ…と、しみじみ思います。

煎ってから時間の経った名店の豆より

近所の煎りたて豆が嬉しい身には

只々有難い変化です。


が、一部の超メジャー店を除く既存の焙煎屋さんにはきっと

危機感強い事態なのでしょう、

当日煎りでない焙煎屋さんに、たまたま入ったところ

短時間で煎った豆と同点の豆を比較して

焦げてるだけで内部の水分量が抜けてない

前者の問題を示す紙芝居?パネル説明が始まり、ビビりました…。

はっきり店名は口にされませんでしたが

近所に出来た、当日煎りの脱サラ焙煎屋さんを、強く意識されていたようです。

来店のたびのそのレクチャータイムが結構しんどかったです


焙煎というのは、科学的根拠や計算式に基づく

合理的手順がそこそこ確立しているものだと

勝手に思い込んでいたのですが

オオヤミノルさんとか、(まあまあ)若手の焙煎屋さんの御本を読むと、全然違うんですね。

自宅でも、相当頑張ればどこより美味しい豆が煎れる可能性がある、ということでもあります。

実際にチャレンジされた社会学者の御本を読む限り

いい生豆の仕入、という前段のハードルが高そうですが…。


昔は巨大な釜でガラガラと煎る、出町輸入食品の珈琲を愛飲していました。

名店の一杯、には遠く及びませんが

ここのマイルドブレンド(多分1番安いやつ?)は甘くて滑らかで、これはこれで美味しかったのです。

先日久方ぶりにお店に行ったら、すぐ側に新し目の焙煎屋さんが出店しており

おお、ここにも新しい波が…と、変化を噛み締めました。

ついでに、マイルドブレンドの味がなんだかちょっと変わっていたり、色々と時を感じるものがありました。


パン屋とコーヒー屋が多いのは、幸せな街の証しだと思います。

私は普段、豊かとは程遠い食生活を送りつつ、会社のインスタントコーヒーを機械的ガブガブ飲んで過ごしています…が

週末の朝だけは美味しい豆を手で挽いて、ハンドドリップでコーヒーを淹れて

トーストとゆっくり味わいます。

「人間らしい生活」の生命線ゆえ、その幸せだけは、何があろうと断固死守するつもりです。

それは、美味しい焙煎屋さんとパン屋さんあっての喜び…日々、感謝大です。

ミニマリストに満たない理由

自分はミニマリストではない、と思う

最大の理由は「ベッドが手放せない」ことです。

多くのミニマリストがエ◯リーマットレスや寝袋で最小化している

室内最大級の家具、ベッドですが…私はどうにも、ベッド好きなのです。


社会人になるまで布団暮らしをしており、ベッド歴の方がむしろ短いです。

しかし、だからこそ押入れなり何なりに完全に仕舞ってしまわない限り

だらしなさや貧乏くささのある布団より

(唯一、PuebcoのNomadic bedは

例外と認めます。あれは、ありです)

ベッドがどれだけ楽で素晴らしいかを、日々痛感するのです。

毎日の布団の上げ下ろしって、簡単ですが蓄積すると

物凄い量の物理エネルギーの消耗ですよね。

会社員生活では、干してもない湿気った布団を

押入れに入れる日の方が多い訳で、気分的にも抵抗が…

以前、普通のベッドでもマニフレックスがカビたトラウマから

湿度がべらぼうに怖い私には最早、すのこ系ベッドしか信じられません。

そして何より、木のベッドという物体が、美しくて好きなのです。

ダークブラウンのフレームと、フローリングというのは

とても美しい関係にあると思うんです。


セミシングルサイズの商品も最近は多く

空間的な圧迫感もだいぶん少ないと思います。

私は無印のものを使っていますが、脚を最短にしているので

視界を阻むことが少なく、心地よい存在感です。

セミシングルという幅には、若干不安がありましたが

寝相いい人には全然問題ないと思います

(私は落ちたことも寝返りに困ったこともないです)し

カバーリングも、確かに選択肢は乏しいのですが

無印以外の会社からも意外と色々販売されていて

今のところ困る程ではないです。

修道院とか海外の刑務所の

小さなベッドをイメージして探していましたので

正に、理想通りとなりました!


ご挨拶

杉野です。初めまして。


都内の商業ビル最上階に、何故か一部屋だけ存在する謎の賃貸スペースで

コーヒー飲み飲み、こっそりひっそり暮らしております。


20㎡程の小さな部屋ですが

4面の窓に、パノラマのように広がる街と緑の光景(そして遠くに走る電車の姿!)が

朝も昼も夜も美しく、この場所を深く愛しています。


大学生までは、トランクと本棚一つだけの

今で言えばミニマリストな暮らしでした。

しかし社会人になり、多忙や諸々の中で

気付けばモノと無駄の多い暮らしに

すっかり埋もれていたのを

転職やら引越やら愛猫の見送りやらを経た今

元の身軽さに引き戻しつつあるところです。

掃除時間の短さ=リラックス時間の長さ、であり

小さな部屋と少ないモノ、が私には幸せな状態なのです。


いま唯一欠落を感じるのは、家に猫がいないことです。

小学生以来の猫のいない暮らしは

心身とも猫不足で、隣のマンションのベランダにいる猫に日々見入ってしまい、不審者レベルになってきています。

しかし、安易に命は預かれない…悩ましいところです。


そんなささやかな毎日を、眠りにつく前に綴る日記がこのブログです。

不眠症ゆえ、とんでもない時刻に

書くことも多いでしょうが

宜しければどうぞ、お付き合い下さい。

よろしくお願いいたします。